お見合いの歩み
結婚を前提として二つの家の出会いの場を作るということが、お見合いの唯一最大の目的で、実際にそのような結婚が、実際の結婚の70%を占めていたといわれています。
もともと、このお見合いを仲介する仲人は、鎌倉時代の初期にまでさかのぼるといわれています。
武士社会によって没落した貴族階層や、政治的な争いに巻き込まれていた武士階級の女性たちが、どのような身の振り方をしていくことができるのかということで、お見合いという出会いの場を作り、結婚するよう斡旋していた職業があり、これは「中媒」と呼ばれていました。
この中媒のもとで男女が出会い、お見合いをして結婚をし、家同士が結びつくということが結婚の流れでした。
そのようなお見合いの流れが庶民に広がっていったのは、鎌倉時代から進んで江戸時代になってからです。
江戸時代には、中媒という職業はすでになくなっていたのですが、近所の世話好きなおばちゃんや親戚が、どこからか頼まれてお見合い話を結婚適齢期の年頃にある女性に持ってきて、そこで出会いを作り、実際にお見合いをしてみてから結婚へと進んでいくという流れになっていました。
また江戸時代には、職業紹介を行なっていた肝煎所と呼ばれる人たちが、職業紹介とともに結婚紹介をしているという場合もありました。
中には、職業紹介よりも結婚紹介のほうが利益になり、数も多いからということで職業紹介を行なわず、もっぱら結婚紹介ばかりを行なうようなところも出てきたといわれています。
それが明治以降、現代になるにつれて、女性の社会進出や自由な結婚、当人たちの意思が重要視された結婚が一般的になっていくにつれ、お見合いで出会いを作るというのは、徐々に衰退していきます。
結婚している人の1割がお見合いによる出会い
一時期は、結婚している人の1割がお見合いによる出会いであり、ほかの9割は恋愛結婚だったという時期もありました。
しかし、自由になり過ぎた結果、以前なら適齢期といわれた20台前半から中盤にかけて結婚しないということは普通のこととなり、より男女ともに自分の時間を楽しむようになりました。
一時期は「結婚しないかもしれない症候群」という言葉が流行したほどです。
それが現在では、結婚をするために積極的に出会いを求める人が増え、お見合いへの人気が増加することとなってきました。
これが婚活です。
このきっかけとしては、中央大学教授の山田昌弘氏と少子化ジャーナリストの白河桃子氏が共著で出版した『「婚活」時代』という本の出版によって、雑誌に取り上げられ始めたことから一気にブームとなりました。
ちょうど「Around40」というドラマが人気を集めていたという世間の流れとマッチし、30代以上の結婚はどうなるかという不安や好奇心が、婚活という言葉を一気にメジャーにさせたようです。
これによって、お見合いという言葉は婚活と同義語になり、出会いを求めて婚活を行なうという風潮が強くなりました。
今後も、この婚活がお見合いと同義語として使われていく流れは変わらないだろうし、このことによって出会いが増え、お見合いへの抵抗感が少なくなっているというのも事実です。
今後しばらくの間は、お見合いは婚活のひとつという位置づけになり、多くの出会いの場を提供することとなるでしょう。